コメ余りは間違い、実は足りていない
鈴木宜弘 (東京大学大学院 農学部教授)
講演録(PDF)
いま、そこにある危機
グローバル化の限界が見えた。日本の食料自給率は38%と低く、我々の体のエネルギーの3分の2近くも海外に依存している。
もし、輸出規制などにより食料輸入がストップしたり、種や飼料などの生産資材が海外から運べなくなったり、価格の高騰にさらされれば、日本人の未来は……。
このような事態は現実に起こりつつあるのではないか。
いや、コロナ禍によるサプライチェーンの寸断や、人口の爆発的な増大、バッタなどの異常発生による食害の拡大、農地の荒廃や水源の枯渇による生産力の低下、異常気象の頻発などで、いつ価格高騰や食べ物が手に入らないという食料危機に日本がさらされてもおかしくないのだ。
すでに、2008年の世界的な食料危機では、コメが手に入らなくなり、コメをめぐる暴動が起きて、死者も出る国もあったが、もはやそれは他人事ではない。
明日は我が身なのだ。
こうした中で、日本の農業の現状をみると、際限なき貿易自由化を進め、国産農産物が買い叩かれ、担い手の高齢化、耕作放棄地の増加、集落消滅の危機が拡大し、今頑張ってくれている農家がいつまで耐えられるのか、農業・農村の疲弊と消滅の危機は深刻化している。
食料こそが国民の命の源である。その生産を担う農業を軽視していないだろうか。
安価な輸入品が溢れているが、安さには必ずワケがある。
私たちはあまりにも安価な食品ばかりを求めているのではないか。
農の危機は農家だけの問題ではない。
「農は国の本なり」。国民の命の危機、国家存亡の危機である。
飢餓は他人事ではない
この画像は、2021年2月7日にNHKスペシャル「2030 未来への分岐点」が報じた2050年頃に起きるかもしれない渋谷のスクランブル交差点での食料を求める暴動の様子である。
しかし、もっと早くにこのような事態が発生する危機が進行している。
表1は、現状の趨勢が続くと、最悪の場合、2035年の日本の実質的な食料自給率が、酪農で12%、コメで11%、青果物や畜産では1〜4%台に低下する可能性を示唆している。
このような状態で、コロナ禍や2008年のような旱ばつなどが同時に起こって、輸出規制や物流の寸断が生じて、生産された食料だけでなく、その基になる種、畜産の飼料も海外から運べなくなったら、日本人は食べるものがなくなってしまう。
つまり、2035年時点で日本は飢餓に直面する薄氷の上にいることになる。
国は規模拡大支援政策を追求し、畜産でもメガ・ギガといった超大規模経営はそれなりに増えたが、それ以外の廃業が増え、全体の平均規模は拡大しても、やめた農家の減産をカバーしきれず、総生産の減少と地域の限界集落化が止まらない段階に入っている。
それに加えて、飼料の海外依存度を考慮すると、牛肉、豚肉、鶏卵の自給率は現状でも、
順に、11%、6%、12%、このままだと、2035年には4%、1%、2%と、信じがたい水準に陥る。
酪農は、自給率が8割近い粗飼料の給餌割合が相対的に高いので、自給率は現状で25%、2035年に12%と、他の畜産に比べればマシな水準だが、それでもこの低さである。
さらに付け加えると、鶏のヒナはほぼ100%海外依存なので、それを考慮すると、実は鶏卵の自給率はすでに0%に近いという深刻な事態なのである。
現状は80%の国産率の野菜も、90%という種の海外依存度を考慮すると、自給率は現状でも8%、2035年には4%と、信じがたい低水準に陥る可能性がある。
コメも含めて、「種は命の源」のはずが、「種は企業の儲けの源」として種の海外依存度の上昇につながる一連の制度変更(種子法廃止→農業競争力強化支援法→種苗法改定→農産物検査法改定)が行われているので、野菜で生じた種の海外依存度の高まりがコメや果樹でも起こる可能性がある。
コメは大幅な供給減少にもかかわらず、それを上回る需要減でまだ余るかと思われるが、最悪の場合、野菜と同様に、仮に種採りの90%が海外圃場で行われるようになったら、物流が止まってしまえば、コメの自給率も11%にしかならない。
果樹では、同様の計算で、3%にしかならない。
つまり、日本の地域の崩壊と国民の飢餓の危機は、2050年よりも、もっと前に顕在化する可能性がある。
コメの深刻さはさらに増している〜実はコメは足りていない
発想の転換が必要ではないだろうか。
コメは余っているのでなく、実は足りていない側面がある。
コロナ禍でコメ需要が年間22万トンも減って、コメ余りがひどいから、コメを大幅に減産しなくてはいけないというのは間違いである。
コメは余っているのではなく、コロナ禍による収入減で、「1日1食」に切り詰めるような、コメや食料を食べたくても十分に食べられない人達が増えているということだ。
そもそも、日本には、年間所得127万円未満の世帯の割合、相対的貧困率が15.4%で、米国に次いで先進国最悪水準である。
1万円を下回りかねない低米価
潜在需要はあるのに、顕在化できない。
そして、コメ在庫が膨れ上がり、生産者米価の下落が加速している。
主食用の大幅な減産要請の中で、次に少しでも価格的に有利な備蓄用米の枠を確保するため、JA組織も安値でも入札せざるを得ない苦渋の選択を迫られた。
こうした状況下で、コメ農家に支払われるJAの概算金は1俵1万円を切る水準が見えてきている。
1万円を下回りかねない低米価が目前に見えてきているのに、政策は手詰まり状態で、事態は放置されている。
どんなに頑張ってもコメの生産コストは1万円以上かかる。
このままでは、中小の家族経営どころか、専業的な大規模稲作経営も潰れかねない。
消費者を助ければ、生産者も助けられる
消費者を助ければ、生産者も助けられる。
それこそが政府の役割である。米国などでは政府が農産物を買い入れて、コロナ禍で生活が苦しくなった人々や子供たちに配給して人道支援している。
米国では、トランプ大統領(当時)が2020年4月17日、コロ禍で打撃を受ける国内農家を支援するため、「コロナウイルス支援・救済・経済安全保障法(CARES法)」などに基づき、190億ドル規模の緊急支援策を発表した。
このうち160億ドルを農家への直接給付に、30億ドルを食肉・乳製品・野菜などの買上げに充てた。
補助額は原則1農家当たり最大25万ドルとした。
農務省は毎月、生鮮食品、乳製品、肉製品をそれぞれ約1億ドルずつ購入し、これらの調達、包装、配給では食品流通大手シスコなどと提携し、買上げた大量の農畜産物をフードバンクや教会、支援団体に提供した。
そもそも、米国の農業予算の柱一つは消費者支援、低所得層への食料支援策なのである。
米国の農業予算は年間1000億ドル近いが、驚くことに予算の8割近くは「栄養(NUTRITION)Nutrition」、その8割はSupplemental Nutrition Assistance Program(SNAP)Supplemental Nutrition Assistance Program (SNAP)と呼ばれる低所得者層への補助的栄養支援プログラムに使われている。
なぜ、消費者の食料購入支援の政策が、農業政策の中に分類され、しかも64%も占める位置づけになっているのか。この政策の重要なポイントはそこにある。
つまり、これは、米国における最大の農業支援政策でもあるのだ。
消費者の食料品の購買力を高めることによって、農産物需要が拡大され、農家の販売価格も維持できるのである。
経済学的に見れば、農産物価格を低くして農家に所得補填するか、農産物価格を高く維持して消費者に購入できるように支援するか、基本的には同様の効果がある。
米国は農家への所得補填の仕組みも驚異的な充実ぶりだが、消費者サイドからの支援策も充実しているのである。
まさに、両面からの「至れり尽くせり」である。
人道支援もできないのか?
なぜ、日本政府は「政府はコメを備蓄用以上買わないと決めたのだから断固できない」と意固地に拒否して、フードバンクや子ども食堂などを通じた人道支援のための政府買い入れさえしないのか。
メンツのために、苦しむ国民と農家を放置し、自助と言い続け、国民の命を守る人道支援さえ拒否する政治・行政に存在意義があるのかが厳しく問われている。
いや、備蓄米のフードバンクなどへの供給はしているという。
しかし、その量は1つのフードバンクにつき年間60kg、規模の大きいフードバンクでは1団体が提供するコメの1日分にも満たないという。およそ140団体が受け取っており、全体で100万トン規模の備蓄米のうち、提供量は最大でも10トンに満たないとみられる(ロイター通信、2月9日)。
これでは焼け石に水である。
ちょうど、日本農業新聞に筆者の指摘が掲載された日の国会で、農水大臣が備蓄米の活用を拡大すると表明したが、抜本的な対策とは言えない。
制度上の制約というなら備蓄制度の枠組みでなく人道支援の枠組みをつくればよい。
法律・制度は国民を救うためにあるはずなのに、この国は制度に縛られて国民を苦しめてしまう。
東日本大震災のときの復興予算さえ、要件が厳しすぎて現場に届かなかった。
財政当局はわざと要件を厳しくして予算が未消化で戻ってくるように仕組んでいるとさえ聞いたが、それでは人間失格であろう。
世界を守れば日本が守られる
しかも、日本では家畜の飼料も9割近くが海外依存でまったく足りていない。
コロナ禍で不安が高まったが、海外からの物流が止まったら、肉も卵も生産できない。
飼料米の増産も不可欠なのである。
さらに、海外ではコメや食料を十分に食べられない人たちが10億人近くもいて、さらに増えている。
つまり、日本がコメを減産している場合ではない。
しっかり生産できるように政府が支援し、日本国民と世界市民に日本のコメや食料を届け、人々の命を守るのが日本と世界の安全保障に貢献する道であろう。
某国から言いなりに何兆円もの武器を買い増しするだけが安全保障ではない。
食料がなくてオスプレイをかじることはできない。
農は国の本なり。
食料こそが命を守る、真の安全保障の要である。
消費者を守れば生産者が守られる。生産者を守れば消費者が守られる。
世界を守れば日本が守られる。
この講演は、2021年3月26日(金)にリモート(ZOOM)で開催された一般社団法人日本飼料用米振興協会・第7回理事会(拡大)での記念講演です。
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参考資料
日本農業新聞 コラム【今よみ〜政治・経済・農業】
東京大学大学院教授 鈴木宜弘さん 2021.1.5、2021.2.9,2021.3.16
日本農業新聞 2021年3月16日(火)
コラム【今よみ〜政治・経済・農業】
「実は不足している米」「困窮者に人道支援を」
東京大学大学院教授 鈴木宣弘
新型コロナウイルス禍」で米需要が年問22トンも減って、米余りがひどいから、米を大幅に減産しなくてはいけないというのは問違いである。
米は余っているのではなく、コロナによる収入減で、「1日1食」に切り詰めるような、水や食料を食べたくても十分に食べられない人たちが増えているということだ。
潜在需要はあるのに、米在庫が膨れ上がり、来年の米農家に支払われるJAの概算金は1俵1万円を切る水準が見えてきている。
このままでは、中小の家族経営どころか、専業的な大規模稲作経営もつぶれかねない。
◆ ◆ ◆
米国などでは政府が農産物を買い入れて、コロナ禍で生活が苦しくなった人々や子どもたちに配給して人道支援している。
なぜ、日本政府は「政府は米を備蓄用以上買わないと決めたのだから断回できない」と意固地に拒否して、フードバンや子ども食堂などを通じた人道支援のための政府買い入れさえしないのか。
メンツのために、苦しむ国民と農家を放置し、国民の命を守る人道支援さえ拒否する政治・行政に存在意義があるのかが厳しく問われている。
いや、備蓄米のフードバンクなどへの供給はしているという。
しかし、その量は一つのフードバンクにつき年間60キロ、規模の大きいフードバンクでは1団体が提供する米の1日分にも満たないという。
およそ140団体が受け取っており、全体で100万トン規模の備蓄米のうち、提供量は最大でも10トンに満たないとみられる (ロイター通信、2月9日)
これは焼け石に水ある。
制度上の制約というなら備蓄制度の枠組みでなく人道支援の枠組みをつくればよい。
法律・制度は国民を救うためにあるはずなのに、この国は制度に縛られて国民を苦しめてしまう。
大震災の時の復興予算さえ、要件が厳すぎて現場に届かなかった。
財政当局はわざと用件を厳しくして、予算が未消化で戻ってくるように仕組んでいると聞いたが、それでは人間失格であろう。
しかも、日本では家畜の飼料も9割近くが海外依存でまったく足りていない。
コロナ禍で不安が高まったが、海外からの物流が止まったら、肉も卵も生産できない。
飼料米の増産も不可欠なのである。
さらに、海外では米や食料を十分に食べられない人たちが10億人近くもいて、さらに増えている。
◆ ◆ ◆
つまり、日本が米を減産している場合ではない。
しっかり生産できるように政府が支援し、日本国民と世界市民に日本の米や食料を届け、人々の命を守るのが日本と世界の安全保障に貢献する道であろう。
某国からいいなりに何兆円の武器を買い増しするだけが安全保障ではない。
食料がなくてオスプレイをかじるのか。
農は国の本なり。
食料こそが命を守る、真の安全保障の要である。 (毎週火曜日付)
日本農業新聞 2021年2月9日
コラム【今よみ〜政治・経済・農業】
種苗法農産物検査法改定食料 「囲い込み」懸念
東京大学大学院教授 鈴木宣弘氏
種苗法の改定で終わりではなかった。
国・県による米などの種子の提供事業をやめさせ(種子法廃止)、その公共種子(今後の開発成果も含む)の知見を海外も含む民間企業に譲渡せよと命じ(農業競争力強化支援法)、次に、農家の自家増殖を制限し、企業が払い下げ的に取得した種を毎年購入せざるを得ない流れができた(種苗法改定)。
これに、さらに農産物検査法改定が加わろうとしている。
産地品種銘柄(都道府県が指定して検査体制を確保し、米の産地・品種・産年が表示できるようにする仕組み)を廃止し、自主検査を認め、未検査米に対する表示の規制を廃止するという。
米等級の廃止は、カメムシ斑点米対処のネオニコチノイド系農薬の削減につながる利点がある。
一方、米検査の緩和は、さまざまな米の流通をしやすくする側面はあるが、品質保証に不安が生じるだけでなく、輸入米の増加(安田節子氏)や民間企業による米生産・流通の「囲い込み」の促進につながる懸念(印?智哉氏)も指摘されている。
農家の自家増殖制限と米検査の緩和が相まって、企業が主導して種の供給から米販売までの生産・流通過程をコントロールしやすい環境を提供する。
種を握った種子・農薬企業が種と農薬をセットで買わせ、できた生産物も全量買い取り、販売ルートは確保するという形で、農家を囲い込んでいくことが懸念される。
都道府県とJAが産地品種銘柄を中心に主導する米流通は崩されていく可能性がある。
そういう中で、積極的に、企業と農家との中間にJAが入ることによって、JA も集荷率を維持し、農家の不利益にならないような取引契約になるよう踏ん張れる側面もあるかもしれないが、種も肥料も農薬も指定された契約になると、「優越的地位の乱用」を許し、従属的関係に陥る危険もある。
本来、農協は共販によって取引交渉力の強い買い手と対峙(たいじ)して農家(ひいては消費者)の利益を守るためにあるが、各JAが企業主導の生産・流通に組み込まれてしまうと、そうした農協の役割が地域レベルでも、全国レベルでも、そがれてしまうリスクがある。
これは、農家・農協だけでなく、地域の食料生産・流通・消費が企業の「支配下」に置かれることを意味する。
農家は買いたたかれ、消費者は高く買わされ、地域の伝統的な種が衰退し、種の多様性も伝統的食文化も壊され、災害にも弱くなる。
予期せぬ遺伝子損傷などで世界的に懸念が高まっているが、わが国では表示もなしで野放しにされたゲノム編集も進行する可能性が高く、食の安全もさらに脅かされる。
JAとしての対応が問われるとともに、生産から消費まで、国民全体の食料安全保障の在り方が問われている。 (毎週火曜日付)
日本農業新聞 2021年1月5日
コラム 【今よみ〜政治・経済・農業】
外国頼み危うい観光経済構造転換が必要
東京大学大学院教授 鈴木宣弘
GOTOトラベル事業を巡る議論には、経済社会の構造そのものをどう転換するか、という視点が欠如している。
GOTOトラベルは都市部の3密構造をそのままにして、感染を全国に広げて帰ってくるだけだ。
GOTOトラベルはあくまで観光であり、観光に依存した地域振興はそのままである。
つまり、根本的には、都市人口集中という3密構造そのものを改め、地域を豊かにし、地域経済が観光や外需に過度に依存しないで地域の中で回る循環構造を強化する必要がある。
地域に働く場をつくり、生産したものを消費に結び付けて循環経済をつくるには、農林水産業が核になるはずである。農林水産業が元気で地域の環境や文化が守られなくては、観光も成り立たない。ましてや、輸出5兆円が実現できるわけがない。足元を見ずに、観光だ、インバウンド(訪日外国人)だ、輸出だ、と騒ぐのは本末転倒だ。
政府が何に力を入れていくべきかは、明らかだ。
地域の実態は厳しさを増している。
集落営農組織ができていても、平均70歳を超え、基幹的作業従事者の年収が200万円程度で後継者がおらず、年齢をプラス10すれば、10年後の崩壊リスクが高い集落が全国的に激増している。
また、農家の1時間当たり所得は平均で961円。後継者を確保しろとは酷である。
飼料の海外依存度を考慮すると、牛肉(豚肉)の自給率は現状でも11%(6%)、このままだと、2035年には2%(1%)、種の海外依存度を考慮すると、野菜の自給率は現状でも8%、35年には3%と、信じ難い低水準に陥る可能性さえある。
国産率96%の鶏も飼料とひなの海外依存度を考慮したら自給率はほぼ0%だ。
これでは地域コミユニティーを維持できるわけがないし、不測の事態に地域の住民や国民への量的・質的な食料安全保障の確保は到底できない。
GOTO事業のもう一つの問題は、経済を回して迂回(うかい)的に支援する仕組みにある。
経済は回さずに必要な人に直接所得補償をすべきだ。
感染抑止になるし、必要な人に支援が届くまでの中間で予算が雲散霧消する構造を打破できる。
予算の「雲散霧消」は今に始まったことではない。
例えば、08年の餌危機には、国は緊急予算を3000億〜4000億円手当てした。
それを、そのまま緊急的な乳価補填(ほてん)などに使えば、機動的に畜産・酪農所得を支えられたが、乳価補填には100億円程度しか使われなかった。
大部分はどこへ行ったのか。
なぜ、もっと直接的に農家の所得補償ができないのかと、食料・農業・農村審議会の畜産部会や農畜産業振興機構の第三者委員会において疑問を呈したのは消費者側委員だった。
生産者と消費者は運命共同体だ。
今こそ、国の予算もシンプルで現場にダイレクトに届くように構造転換すべきときだ。
(毎週火曜日付)