◆ 背筋凍るTPPの真実


著者  鈴木 宣弘 すずき のぶひろ

プロフィール
 東京大学大学院 農学国際専攻 教授 農業経済学の第一人者として農産物市場の活性化に尽力する農学博士。
「食料の海外依存の状況と問題点」「環境負荷を改善する循環型農業」「農産物貿易自由化」など、提言は多岐にわたる。
農産物市場の国民経済・環境への影響、世界の様々な階層への影響とその調整政策の解明に取り組んでいる。

職歴・経歴

1958年 三重県志摩市生まれ。 1982年 東京大学農学部農業経済学科卒業 同 年 農林水産省入省 1996年 農業総合研究所研究交流科長 1998年 九州大学農学部 助教授 2004年 九州大学大学院農学研究院 教授 2005年 九州大学アジア総合政策センター教授(兼任) 2006年9月より現職 1998年〜2005年 夏期 米国コーネル大学客員助教授 教授 2006年 日本学術会議連携会員 食料・農業・農村政策審議会委員(会長代理、企画部会長、畜産部会長、農業共済部会長) ■著書 『現代の食料・農業問題―誤解から打開へ』(創森社 2008年) 『農のミッション−WTOを超えて』(全国農業会議所 2006年) 『食料の海外依存と環境負荷と循環農業』(筑波書房 2005年)『FTAと食料―評価の論理と分析枠組』(編著・筑波書房 2005年) 『FTAと日本の食料・農業』(筑波書房2004年) 『WTOとアメリカ農業』(筑波書房 2003年) 『寡占的フードシステムへの計量的接近』(農林統計協会 2002年) 『生乳市場の不完全競争の実証分析』(農林統計協会 1994年)

内容紹介

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背筋凍るTPPの真実
東京大学 教授 鈴木 宣弘 2016年9月21日  「東京オリンピックまで続けたい」という発言に象徴されるように、「米国に追従することで自らの地位を守 「東京オリンピックまで続けたい」という発言に象徴されるように、「米国に追従することで自らの地位を守る」ことを至上命題として、国民の命と生活を犠牲にする政治は限界に来ている。米国でも批准が極めて困難になっているのに、オバマ政権のために何とかTPP(環太平洋連携協定)を決めてあげたいと、さらに水面下で国益を差し出し続け、ひとり批准を急ぐ日本政府は国民をどうするつもりなのか。背筋凍るTPPの真実を振り返ってみよう。 日本は米国の草刈り場  去年の10月にアトランタで「大筋合意」が行われて、歴史的快挙だなどと言われたが、その裏で何があったのか。日本はアトランタに行く時に、「今度こそオバマ政権の為に、TPPを決めてやる。譲れるものはすべて譲る」という方針だった。農林水産業に関しては、すでに1年前に譲り終えていた。TPPは自動車で日本に利益があるからそれは確保したいと考えていたが、それさえも譲ってしまって、もう譲るものがないから交渉会場をブラブラしていた。それを見て他の国は、「あれほどの経済大国日本が、国民の利益をアメリカによくそこまで譲れるものだ。日本はアメリカの草刈り場みたいなものだ」と感心していたという。それに対して日本は「何だ。他の国は国民の利益を守るなどといって、まだアメリカと闘っているのか。早く譲ったらどうだ」と怒っていたという。  日本がTPPの最終合意に向けて切り札として用意していたのが「玉虫色」だと政権党幹部がアトランタに行く前に漏らした。「最後までもめる案件が残ったら、そこは日本の得意技『玉虫色』で、どっちにも取れるような表現で条文を作って、形式だけでも決まった形をつくろう」と言っていたが、本当にそうやった。  新薬のデータ保護期間だ。政治と結びつく巨大製薬会社が、「人の命を縮めてもデータ保護期間を長くして、安いジェネリック薬を作れないようにせよ」と要求していた。それに対してオーストラリアやマレーシアが「そんなことをしたら人の命が救えない」と反対した。米国は当初20年、最終的には12年と言っていたが、オーストラリアやマレーシアは5年と言って隔たりは縮まらなかった。そこで日本が登場して、8年とも五年とも取れる表現を作って条文にしてしまった。だからTPPは決まって進んでいるように見えるけれども、条文の解釈をめぐって今でももめている。オーストラリアは「五年だ」と言って、米国は「そんなわけはないだろう」と怒っている。これが実態である。これを日本が演出したのだ。  日本政府は、自動車での利益確保に、ハワイ会合を決裂させるほどにこだわった。アトランタで合意する2カ月前にハワイでTPPが決裂したときの直後の記者会見で甘利さんが血相を変えて、「ニュージーランドが酪農分野で頑張ったのが戦犯だ」と言った。あれはウソである。日本が自動車で頑張ったのが大きかったと海外のメディアは一斉に書いていた。ところが日本のメディアは全部ニュージーランドが戦犯だと書いた。日本ではTPPで自動車の利益が得られないということが知られるとまずいことになる。だからマスコミを抑えた。  ハワイでは自動車の利益を得るためにそこまで頑張ったのに、アトランタではそれさえ差し出した。TPP域内での部品調達率が55%以上でないとTPP関税撤廃の対象とならないとする厳しい原産地規則を受け入れたが、TPP域外の中国やタイなどでの部品調達が多い日本車はこの条件のクリアが難しい。また、米国の普通自動車の2・5%の関税は15年後から削減を開始して25年後に撤廃、大型車の25%の関税は29年間現状のままで、その間に日本が米国車の輸入を着実に増やしていれば、30年後に撤廃するという不確かで気の遠くなるような内容である(大型車の決定内容を政府は当初、意図的に公表しなかった)。一方、農産物については日本だけが7年後の再交渉=更なる削減を屈辱的に約束させられている。 何も説明していない政府  我が国では、TPP協定の詳細も国民に示さず、影響試算が出される前に、「国内対策」だけが先に示された。実は、農産物の影響試算も国内対策も、日米合意が1年以上前に成立したのちに、決まっていて、Xデーを待っていただけだった。しかし、大筋合意の内容が明らかになって、「こんな酷い合意をしてしまったのか」という地域の怒りが湧きあがってきたので「影響試算を出すのはちょっと待て。国内対策(金目)を先に出して沈静化を図れ」ということになった。この国内対策も、現場の人たちの意見を聞いて決めたということになっているが、内幕は驚きだ。酪農団体が「酪農にもセーフティネット政策を入れてもらわないと『バターが足りない』だけでは済まなくなる」という趣旨の要望を書いていたのを事前に見た政権党の幹部が激怒して、「こんなできもしない要求をすることも許すな。酪農には、とっくに生クリーム向けの生乳に補給金を復活することしかやらないと、以前から決めてあるのだ」と、役所の幹部に「君らが行って、これを消させてこい」と指示したという。  そして、2015年末にやっと出された政府の影響試算は、「影響↓対策」の順で検討すべきを「対策↓影響なし」と本末転倒にし、いわば「影響がないように対策をとるから影響がない」と主張しているだけである。国会決議を守ったと強弁するため、まず、「除外」の意味は全面的関税撤廃からの除外であって1%でも関税が残っていればいいとの屁理屈を用意していたが、それで文句が出れば、「再生産が可能に」との文言を国会決議に紛れ込ませ、「国内対策をセットで出して再生産可能にしたから、国会決議は守られたと主張する」稚拙なシナリオどおりともいえる。  協定の日本語版も一部出されたが、それを見ただけでは解釈は困難だから、国会審議で条文の背景説明を求めると、「交渉過程は4年間秘密なので説明できない」と回答し(実際には、タイトル以外が45ページ全面黒塗りの資料を出すという国民を愚弄した異常な神経ぶりを晒した)、まともな説明はなされないまま、党議拘束をかけて批准するのが「民主主義国家」のシナリオである。全国キャラバンの説明会も「まともな説明もせず、まともに回答もしない」と、各地で不満が噴出した。  余計なことをしゃべらないように、説明会の派遣者も国会の担当大臣も「素人」のほうが都合がいいとのことであった。  共同通信社が2016年四月に実施した全国知事へのアンケート調査結果も紹介しておきたい。知事は控えめに答えざるを得ないから「どちらともいえない」が多いのだが、確かなことは、TPPに関する政府の説明が「十分」と回答した知事はゼロ、国会決議が「守られた」もゼロ、試算が「現実的」もゼロという現実だ。 前代未聞の数字操作  内閣府の再試算では、前回、TPPによる全面的関税撤廃の下で3・2兆円の増加と試算された日本のGDP(国内総生産)は13・6兆円の増加と四倍以上に跳ね上がり、農林水産業の損失は3兆円から1300〜2100億円程度と20分の1に圧縮された。これほど意図が明瞭な試算の修正は過去に例がないだろう。「TPPはバラ色で、農林水産業への影響は軽微だから、多少の国内対策で十分に国会決議は守られたと説明し易くするために数字を操作した」と自ら認めているようなものである。これほどわかりやすい数字操作をせざるを得なかった試算の当事者にはむしろ同情する。  前回の3・2兆円も、すでに、価格が1割下がれば生産性は1割向上するとする「生産性向上効果」やGDPの増加率と同率で貯蓄・投資が増えるとする「資本蓄積効果」を組み込むことで、水増ししていたのだが、今回はそれらがさらに加速度的に増幅されると仮定したと考えられる。象徴的に言えば、「価格が1割下がれば生産性は1割向上する」どころか、「価格が1割下がればコストは9割下がる」と仮定したようなものである。どの程度コストが下がるかは恣意的に仮定できるので、こういう要素を加えれば加えるほど効果額をいくらでも操作可能である。この分野を専門にしている私が言うのだから間違いない。数字増強のドーピング薬=「生産性向上効果」を入れてはいけない。  農林水産業への影響試算については、政府の中にあっても、何とか日本の食料と農業を守るために頑張ってきた所管官庁も苦しんだと思う。当初は、4兆円の被害が出ると試算していたが、政府部内での影響が大きすぎるとの批判に応じて3兆円に修正した。それが今回は1700億円程度になってしまった。まったく整合性のない数字を出すにあたって、所管官庁内部でも異論はあった。しかし、いまや抵抗力を完全に削がれてしまった感がある。  今の官邸は、反対する声を抑えつけていく手口が巧妙だ。霞が関については、幹部人事を官邸が決めることにしたのが大きい。「これ以上抵抗を続けると干される。逆に官邸に従えば、昇進の目が広がるかもしれない。そして昇進の暁には官邸と米国と財界のための『改革』を仕上げます」ということである。2016年6月、まさにその通りの人事が発令された。衝撃の事務次官人事と併せて、「酪農団体の廃止はさすがに無理だ」と最後の抵抗を試みた所管官庁に対して、前途を期待されていた担当局長と担当課長が更迭された。いよいよ所管官庁自体の自壊も含め、農業と農業関連組織を崩壊・解体させる「終わりの始まり」である。対応を誤ると取り返しのつかないことになる。 国民を愚弄する「猿芝居」  牛肉関税の9%に象徴されるように、今回の主な合意内容は、すでに、2014年4月のオバマ大統領の訪日時に、一部メディアが「秘密合意」として報道し、一度は合意されたとみられる内容とほぼ同じだ。つまり、安倍総理とオバマ大統領は寿司屋で「にぎっていた」のである。そのわずか2週間前に日豪の合意で、冷凍牛肉関税を38・5%→9・5%と下げて、国会決議違反との批判に対して、19・5%をTPPの日米交渉のレッドラインとして踏ん張るからと国民に言い訳しておきながら、舌の根も乾かぬうちに9%にしてしまっていたのであるから恐れ入る。  その後は、双方が熾烈な交渉を展開し、必死に頑張っている演技をして、いよいよ出すべきタイミングを計っていただけの「演技」だったのだ。フロマンさんと甘利さん(典型的「斡旋利得罪」のはずが不起訴=この国の三権分立は崩壊)の徹夜でフラフラになった演技は見事だ。頭髪が真っ白になるまで頑張ってくれたのかと思えばもともと白い頭髪を最初は黒く染めておいて、だんだんに白くしていったと聞いて愕然とした。「これだけ厳しい交渉を続けて、ここで踏みとどまったのだから許してくれ」と言い訳するための「猿芝居」を知らずに将来不安で悩み、廃業も増えた現場の農家の苦しみは彼らにとってはどうでもいいこと、いかに米国や官邸の指令に従って、国民を騙し、事を成し遂げることで自身の地位を守るのがすべてなのかと疑いたくなる。  そもそも、3・11の大震災の2週間後に「これでTPPが水面下で進められる」と喜び、「原発の責任回避にTPP」と言い、「TPPと似ている韓米FTAを国民に知らせるな」と箝口令をしいた人達の責任は重大だ。このような背信行為に良心の呵責を感じるどころか、首尾よく国民を欺いて事を成し得た達成感に浸っているかに見える。 TPPで賃金は下がり、雇用は減る  TPPがチャンスだというのはグローバル企業の経営陣にとっての話で、TPPで国民の仕事を増やし賃金を引き上げることは困難である。冷静に考えれば、ベトナムの賃金が日本の1/20〜1/30という下での投資や人の移動の自由化は、日本人の雇用を減らし、賃金を引き下げる。端的に言うと、グローバル企業の利益拡大にはプラスで、中小企業、人々の雇用、健康、環境にはマイナスなのがTPPだ。そもそも内閣府などのモデルで失業が問題にならないのは、農家が失業しても、即座に自動車産業の技術者として再就職できるというような生産要素の「完全流動性」「完全雇用」を仮定しているからであり、米国のタフツ大学でも、この非現実的な仮定を排除した試算では、TPPによって日本のGDPはTPPがなかった場合よりも、今後10年間で0・12%低下し、雇用は7万4000人減少すると推定されている。 命と健康よりも企業利益が優先  特許の保護期間の長期化を米国製薬会社が執拗に求めて難航したことに、「人の命よりも巨大企業の経営陣の利益を増やすためのルールを押し付ける」TPPの本質が露呈している。グローバル企業による健康・環境被害を規制しようとしても損害賠償させられるというISDS条項で「濫訴防止」が担保されたというのも疑問だ。タバコ規制は対象外に(カーブアウト)できるがその他は異議申し立てしても、国際法廷が棄却すればそれまでである。健康や環境よりも企業利益が優先されるのがTPPだ。  要するに、「米国企業に対する海外市場での一切の差別と不利を認めない」ことがTPPの大原則。遺伝子組み換え(GM)表示もその他の食品表示、安全基準も、「地産地消」運動などもTPPの条文に緩和が規定されなくてもISDSの提訴で崩される危険がある。韓米FTAでは、ソウル市の学校給食条例の廃止に象徴されるように、米国産を不当に差別する可能性を指摘され、数多くの国や地方自治体レベルの法律・条令を「自主的に」廃止・修正した。地域の産業を振興するための政策が不当な差別ということになれば、地方自治行政そのものが否定されかねない重大な事態になる。  公共事業の入札に、地元に精通した業者の点数が高くなるようなシステムも許されない。そもそも、日本は地方自治体レベルの公共事業を、TPP参加国の中で最も開放した国と評価されており、英文で国際入札にかけないといけない公共事業の範囲が広い。かたや米国は、TPPが連邦法にしか影響しないので、州レベルの公共事業は国際入札の対象外だし、州法による「バイアメリカン」(公共事業に米国産義務付け)も影響を受けない。 食に安さを求めるのは命を削ること  確かにTPPによって関税が下がれば、米国から安い牛肉や豚肉が入ってくるため、牛丼や豚丼は安くなる。しかし、関税を下げれば当然関税収入も減る。日本の関税収入は、税収60兆円の内の1・2兆円ほどだ。TPPによってその大半が減れば、他で補わなければならなくなるため、結局のところ消費者の税負担は増える。  さらに問題なのは、米国やオーストラリアの牛肉や豚肉を食べ続けることは極めて健康リスクが高いということだ。米国では牛の肥育のために女性ホルモンのエストロゲンなどが投与されている。これは発癌性があるとして、EUでは国内での使用も輸入も禁止されている。実際、EUでは米国産牛肉の輸入を禁止してから六年間で、乳癌による死亡率が大きく下がったというデータもある。日本では国内使用は認可されていないが、輸入は許可されているため国内に入ってきている。また、ラクトパミンという牛や豚の餌に混ぜる成長促進剤にも問題がある。これは人間に直接に中毒症状も起こすとして、ヨーロッパだけではなく中国やロシアでも国内使用と輸入が禁じられている。日本でも国内使用は認可されていないが輸入は素通りになっている。  さらに、米国の乳牛には遺伝子組み換えの牛成長ホルモンが注射されている。米国ではこれが認可された1994年から数年後には、乳癌発生率が7倍、前立腺癌発生率が4倍という論文が出されたため、今やスターバックスやウォルマートでも、わざわざ「成長ホルモンを投与した牛乳・乳製品は扱っていません」と表示するようになっている。もちろん日本でもこの牛成長ホルモンは認可されていないが、やはり輸入を通してどんどん入ってきている。  さらに、米国の牛にはBSE(狂牛病)の危険性もある。日本はこれまで、BSEの発症例がほとんどない20カ月齢以下の牛に限定して輸入を認めていた。ところが米国から「TPPに参加したいなら規制を緩めろ」と言われたため、「入場料」として30カ月齢以下にまで緩めてしまった。また、米国ではBSE検査率は一%未満でほとんど検査されておらず、しっかりとした危険部位の除去も行われていない。 食の安全基準はすでに緩められている  政府はTPPでは国際的な安全基準を順守することが規定されているだけだから日本の安全基準は影響を受けないと主張しているが、国際基準は日本の基準よりも緩い。それ故、国際基準を守るということは、基準を緩和するということだ。既に日本政府は米国から「科学的根拠」が示せないなら規制を緩和しろと圧力がかかることを踏まえ、いつでも規制を緩和できるように準備を整えている。例えば、30カ月齢以下にまで緩めてしまった米国産牛肉輸入の月齢制限を撤廃する準備をすでに終えている。国民への説明と完全に矛盾している。  米国は、遺伝子組み換え(GM)食品は安全性検査によって安全が明らかになっているのだから、「GMを使用していない」と表示することは消費者を惑わす誤認表示だと主張している。「GMが安全でない」という科学的根拠が示せないならやめろと迫るであろう。  GMのもう一つの懸念は、我々が大量に輸入しているGM大豆やGMトウモロコシには発癌性が確認されているグリホサート系の除草剤がかけられていることだ。グリホサート系薬剤をかけても枯れないように遺伝子を組み換えたのがGM大豆やGMトウモロコシなのだから。それを我々が食べているのだ。しかも、耐性雑草が増えてきたため、米国では残留基準が緩められ、さらに散布量が増えているのが実情だ。近年、我々の食べている大豆やトウモロコシのグリホサート系薬剤の残量濃度はさらに高まっている。  さらに、防カビ剤も大きな問題だ。日本では収穫後に農薬をかけることが認められていないが、米国のレモンなどの果物や穀物には、日本への長期間の輸送でカビが生えないように農薬(防カビ剤)をかけなくてはならない。そのため、半年経っても腐らずピカピカのままだったという話もある。これは、米国からの圧力に屈し、防カビ剤を食品添加物に分類する事で日本への輸出を許可する事にしているからだ。  ところが、食品添加物は食品パッケージに表示する義務があるため、米国は、こんどは、それが不当な差別だと言い始めた。そのため、TPPの日米二国間交渉で、日本はさらに規制を緩めることを約束したことが米国側の文書で発覚した。当時、政府はそんな約束は断固していないと言い張っていたが、TPP付属文書を見ると、日本政府が二年前に米国の要求に応えて規制を緩和すると約束したと書いてある。つまり、輸入農産物は、成長ホルモン(エストロゲン)、成長促進剤(ラクトパミン)、GM、除草剤(グリホサート)の残留、収穫後農薬(イマザリル)などのリスクがあり、まさに、食に安さを追求することは命を削ることになりかねない。このような健康リスクを勘案すれば、実は、「表面的には安く見える海外産のほうが、総合的には、国産食品より高い」ことを認識すべきである。そこで、外食や加工品も含めて、食品の原産国表示を強化することが求められるが、表示に関連しては、「国産や特定の地域産を強調した表示をすることが、米国を科学的根拠なしに差別するもの」としてISDSの提訴で脅される可能性もある。 TTIP(米EUのFTA)でも米国はEUのパルメザンチーズなど地理的表示を問題視している。ところが、米国自身は食肉表示義務制度で原産地表示を義務付けている。さらに、これがカナダとメキシコから不当差別としてWTO(世界貿易機関)に訴えられ、米国が敗訴する皮肉な事態になっている。つまり、そもそもTPPのみならず食料の原産地表示の困難性が増してきている事態は深刻である。 米国の要求に応え続ける「アリ地獄」  農産物関税のみならず、政権公約や国会決議で、TPP交渉において守るべき国益とされた食の安全、医療、自動車などの非関税措置についても、全滅である。  軽自動車税の増税、自由診療の拡大、薬価公定制の見直し、かんぽ生命のがん保険非参入全国2万戸の郵便局窓口でのA社の保険販売、BSE(牛海綿状脳症)、ポストハーベスト農薬(防かび剤)など食品の安全基準の緩和、ISDS条項への賛成など、日本のTPP交渉参加を認めてもらうための米国に対する「入場料」交渉や、参加後の日米平行協議の場で「自主的に」対応し、米国の要求が満たされ、国民に守ると約束した国益の決議は早くから全面的に破綻していた。  一番わかりやすいのは郵政解体である。米国の金融保険業界が日本の郵貯マネー350兆円の運用資金がどうしても欲しいということで、「対等な競争条件」の名目で解体せよと言われ、小泉政権からやってきた。ところが、民営化したかんぽ生命を見てA社は、「これは大きすぎるから、これとは競争したくない。TPPに日本が入れてもらいたいのなら、『入場料』としてかんぽ生命はガン保険に参入しないと宣言せよ」と迫られ、所管大臣はしぶしぶと「自主的に」発表した。それだけでは終わらなくて、その半年後には、全国の2万戸の郵便局でA社の保険販売が始まった。これが「対等な競争条件」なのか。要するに、「市場を全部差し出せば許す」ということだ。これがまさに米国のいう「対等な競争条件」の実態であり、それに日本が次々と応えているということである。  しかも、「TPPとも米国とも関係なく自主的にやったこと」と説明しておきながら、今回TPPが決まって協定の付属文書を見たら、「米国の要請に日本が応えた」とちゃんと書いてある。実は決議違反だった事を今になって平然と認めている。  さらに驚くことは、今回の付属文書には、米国投資家の追加要求に、日本は規制改革会議を通じてさらなる対処をすることも約束されている。TPPの条文でなく、際限なく続く日米二国間協議で、巨大企業の経営陣の利益のために国民生活が犠牲になる「アリ地獄」に嵌まっている。それにしても、法的位置づけもない諮問機関に、利害の一致する仲間(彼らは米国の経済界とも密接につながっている)だけを集めて国の方向性を勝手に決めてしまう流れは、不公正かつ危険と言わざるを得ない。 思考停止的な米国追従を止めない限り問題は永続する  米国への譲歩は水面下ですでに進んでいる。米国では、いま誰もTPPに賛成していない。TPPを推進してきた製薬会社などから数年で5億円も献金を受けている共和党の中心人物ハッチ議員は「新薬のデータ保護期間を20年とか12年まで延長しろと言ったのに8年とか5年にしかなっていない。これでは著しく不十分で批准できない」と憤慨している。 一方、失業増大の懸念などからTPPに反対してきた米国の与党民主党は、想定以上にひどいと怒っている。賛成派も反対派もこれはダメだと言い、クリントン、トランプのどちらが大統領になっても、公約を反故にしないかぎりは、今の状態ではTPPは米国で成立する見込みはない。 そこで日本が動いている。駐米公使が「いま条文の再交渉はできないが、日本が水面下で米国の要求をまだまだ呑んで、米国の議会でTPP賛成派が増えるようにすることは可能だ」と漏らした。例えば、米国の豚肉業界は、「日本が関税を大幅削減してくれて輸出が増やせてありがたいと思っていたら、国内対策で差額補填率を引き上げるという。それで米国からの輸入が十分増えなかったら問題だ。その国内対策をやめろ」と要求してきている。 この関連でもう一つ重大な事実がある。一昨年の秋に米国議会で、オバマ大統領に一括交渉権限を与える法案がぎりぎり1票差で通った。あのとき、日本政府はロビイストを通じて、民主党のTPP反対議員に多額のお金を配って賛成を促したという。「日本は牛肉、豚肉をはじめ農産物でこんなに譲ったのだから、賛成しないと米国が損をしますよ」とでも説得したのであろうか。かたや、日本国内では、農家に「何も影響はないから大丈夫」と言っている。これが「二枚舌」の「売国」の実態である。 政府は「規模拡大してコストダウンで輸出産業に」との空論をメディアも総動員して展開しているが、その意味は「既存の農林漁家はつぶれても、全国のごく一部の優良農地だけでいいから、大手企業が自由に参入して儲けられる農業をやればよい」ということのように見える。しかし、それでは、国民の食料は守れない。 関係者が目先の条件闘争に安易に陥ると、日本の食と農と地域の未来を失う。TPP農業対策の大半は過去の事業の焼き直しに過ぎないばかりか、法人化・規模拡大要件を厳しくして一般の農家は応募が困難に設計され、対象を「企業」に絞り込もうとしているのも露骨である。また、収入保険を経営安定対策かのように提示しているが、これは過去5年の平均米価が9000円/60`cなら9000円を補填基準収入の算定に使うので、所得の下支えとはまったく別物だ。基準年が固定されず、下がった価格を順次基準にしていくのだから「底なし沼」である。米国では強固な「不足払い」(所得の下支え)に収入保険がプラスアルファされているのに、収入保険だけを取り出して米国を見本にしたというのもごまかしである。  TPPの影響が次第に強まってきて、気が付いたときには「ゆでガエル」になってしまう。現場で頑張ってきた地域の人々はどうなってしまうのか。全国の地域の人々とともに、食と農と暮らしの未来を崩壊させないために主張し続ける人々がいなくてはならない。まず、食料のみならず守るべき国益を規定した政権公約と国会決議と整合するとの根拠を国民に示せない限り、批准手続きはあり得ない。 なお、大統領選後のオバマ政権のレームダック期間にTPPが米国で批准される可能性は極めて低いが、クリントン大統領の場合は、「現状のTPPには反対」なのだから、日本が一層譲歩させられてTPPが成立することになりかねない。かたやトランプ大統領なら、「TPPには署名しない。二国間FTAでよい」ということだから、日本が一層譲歩させられた日米FTAが成立しかねない。米国で批准できそうにないから大丈夫との他力本願は通用しない。対米従属の呪縛から解放されないかぎり問題は永続する。 だまされても、だまされても、おこぼれを期待し、見せしめを恐れて従い続ける選択に未来はない。真っ向から対峙することで未来は切り開けることを先の参院選結果も示している。国民の命を守る使命に誇りを持ち、ひるむことなく前進するしかない(詳しくは『悪夢の食卓』(KADOKAWA、2016年)参照)。

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食の戦争
出版社 文春新書
著者 鈴木宣弘
 ※ 東大大学院農学部教授



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